現新見市(主に旧阿哲郡神郷村・千屋村)は、古くから労働力として牛が飼われており、1800年頃より蔓牛といわれる「良系統」の蔓が創生され、竹の谷蔓牛として高名を馳せていた歴史ある産地です。
しかし竹の谷蔓牛は絶滅の危機にあることを知る機会がありました。持続可能な農業で危機を乗り越えようと千屋牛繁殖事業に参入しました。
竹の谷蔓牛
安永(1772)の頃、阿哲郡新郷村大字釜竹の谷の浪花元助は良牛を飼育し畜牛の改良していた。その長男浪花千代平が父の志を継ぎ畜産に従事しながら牛馬業を営み、広く優良牛を買い集めて農家に預託飼養をしていた。天保初年(1830)一良雌牛を得て、この雌牛が産んだ雌は骨格が優美でよく4歳で体高4尺2寸(127cm)余に及び、その妹牛もまた優良で4尺1寸(124cm)余に達する良牛であった。ともに繁殖に用い良牛あい続いて産出し、ついに 竹の谷蔓牛と言われるようになった。( 羽部義孝博士著 :蔓の造成とつる牛;改訂復刻版一部改変)
平田五美氏、飼養の蔓牛牛群